4. 次世代高速トランスポートプロトコルに関する研究

エンドホスト間でデータを高速に、かつ効率よく転送するための中心技術がトランスポートプロトコルである。特にインターネットで用いられているTCPでは、エンドホストがネットワークの輻輳状態を自律的に検知して転送率を決定している。これは、インターネットの基本思想であるEnd-to-end principleの核になっているものであるが、エンドホストの高速化により、その適応性をより高度なものにできる可能性が十分にある。本研究テーマでは、そのようなトランスポートプロトコルそのものに関する研究、および、そのようなトランスポートプロトコルを用いるアプリケーションシステムの性能向上に関する研究に取り組んでいる。

4.1 TCPの特性に基づくネットワークの性能評価手法に関する研究

4.1.1 TCPの動作を考慮した無線LANの消費電力低減に関する研究

IEEE 802.11無線LANにおいては、無線通信が消費する電力が全体の10%から50%を占めることが報告されており、無線通信の消費電力を削減することが機器全体の消費電力を削減するうえで重要である。無線LANにおける省電力化に関する検討は、主にハードウェアレベルおよびMACプロトコルレベルの双方から行われている。一般に、ネットワーク機器の省電力に関して議論を行う場合においては、省電力効果とネットワーク性能間のトレードオフを考慮する必要がある。すなわち、消費電力の削減に効果のある要因を明らかにし、その要因がどの程度ネットワーク性能を低下させるかを知ることが重要である。しかし、TCPなどのトランスポート層プロトコルの挙動が省電力性能に与える影響に関してはこれまで検討が行われていない。

そこで本研究では、無線LAN においてTCPデータ転送を行う、単一の無線端末が消費する電力のモデル化手法を提案し、消費電力を低減する転送手法について検討した。提案モデルはMACレベルのモデルとTCPレベルのモデルの組合せによって実現した。MACレベルのモデルにおいては、CSMA/CAのフレーム交換に基づく消費電力モデルを構築した。TCPレベルにおいては、TCPの動作解析に基づいて消費電力モデルを構築した。構築した消費電力モデルに基づいた数値解析によって、無線端末から有線ネットワーク上にあるホストに対してTCP データ転送を行った場合の消費電力を解析的に導出可能となる。数値解析の結果から、パケットの送受信がない区間において理想的にスリープした場合とそうでない場合を比較することで、消費電力を削減するうえで効果的な要因を明らかにした。すなわち、長いスリープ時間を維持したままスリープ状態への遷移回数を削減することが省電力効果を高めるのに効果的である。また、省電力と転送時間との間にはトレードオフの関係があることを示した。

[関連発表論文]

4.1.2 無線マルチホップネットワークにおける省電力手法がネットワーク性能に与える影響に関する研究

無線LAN規格であるIEEE 802.11は複数のデータレートを持ち、それぞれについて、符号化方法、消費電力、通信可能距離なども異なる。また、IEEE 802.11に存在する複数の規格は異なる特性を持つ。さらに、同じ規格であっても、ハードウェア構成が異なると、消費電力や通信可能距離は大きく異なる。そのため、IEEE 802.11無線LANにおける消費電力に関する議論を行う際には、実ハードウェアの仕様を考慮する必要がある。一方、無線技術の一般的な特性として、送信電力、通信可能距離及び、ビットエラー率などは複雑に関連している。すなわち、IEEE 802.11無線LANを用いた無線マルチホップネットワークにおいては、消費電力を決定する要素が多く存在し、かつ、それらの要素が複雑な関係を持つ。そのため、消費電力を抑えたデータ転送を行うためには、これらの要素の関係を明らかにし、データ伝送時の消費電力を解析的に評価する必要がある。

そこで本研究においては、まずIEEE 802.11無線LAN技術に基づく無線マルチホップネットワークにおけるデータ伝送を対象とし、その消費電力量解析を行った。具体的には、IEEE 802.11で用いられるMACプロトコルであるCSMA/CAの詳細な挙動に基づき、1ホップのデータ伝送における消費電力量を導出した。その後、送受信端末間でマルチホップによってデータを伝送した際の総電力量を明らかにした。さらに、実在するIEEE 802.11無線LANのネットワークインターフェースデバイスの消費電力データを利用し、解析結果を用いた消費電力量の評価を行った。評価の結果、ネットワークにおけるフレーム損失率が等しい場合には、より高いデータレートを使うことで、より小さい消費電力量が得られるが、低いデータレートを使うほうが消費電力量を抑えることが出来る場合があることを明らかにした。

[関連発表論文]

4.2 ネットワーク計測に関する研究

4.2.1 省電力ルータが存在する環境における利用可能性帯域計測手法の改善に関する研究

近年、ネットワークトラヒックの増加に伴うネットワーク機器の消費電力の増加が問題となっている。経済産業省の試算によると、国内のルータを含むネットワーク機器の総消費電力は、2006 年度の約80 億kWh から2025 年度には約1033 億kWh と、およそ13 倍に増加すると指摘されている。この問題に対して、ネットワーク負荷に応じてルータ処理性能やリンク速度の動的な変更を行うことにより、省電力を図る技術に関する研究が行われている。しかし、そのような省電力ルータがネットワーク内に存在すると、ネットワーク負荷に応じてエンド端末間パスの物理帯域が変動するため、従来提案されているエンド間利用可能帯域計測手法の計測精度が劣化すると考えられる。また、帯域計測のために発生するネットワーク負荷により、省電力ルータが十分に省電力効果を発揮できない可能性がある。

そこで本研究では、リンクの物理帯域を動的に変化させる省電力ルータがネットワークに存在する環境における、エンド間利用可能帯域計測手法Pathload の性能評価を行い、利用可能帯域計測と省電力ルータが相互に及ぼす影響を明らかにする。また、Pathload が省電力ルータに与えるトラヒック負荷を解析的に明らかにした。その結果、計測負荷によって省電力ルータが物理帯域を増加させた場合、省電力動作中の物理帯域を基準とした利用可能帯域を計測することが困難になることを示した。また、その結果に基いて、計測手法のパラメータを調整することにより、省電力ルータに影響を与えない計測を行うことが可能であることを示した。

[関連発表論文]

4.2.2 ネットワークパスの複数区間の利用可能帯域の同時計測に関する研究

エンド端末間におけるデータ転送の際に、パスの利用可能帯域を指標として用いることで、輻輳の検知、通信レートの制御、オーバーレイネットワークにおけるトポロジー制御、経路制御やマルチパス転送などの様々なネットワーク制御が可能となる。そのため、エンド端末間パスの利用可能帯域を計測することは重要である。従来の端末間パスの利用可能帯域の計測技術は、ボトルネック区間の利用可能帯域の値のみを把握することができるが、一方、ボトルネック区間そのものの特定やエンド端末間パスの複数箇所の利用可能帯域の計測を行うことはできない。しかし、たとえば無線ネットワークと有線ネットワークなどネットワーク特性が異なる区間がエンド端末間パス上に混在している場合に、それぞれのネットワークの利用可能帯域の計測が可能となれば、無線ネットワークなどパケット誤りの多い環境に応じて通信レートを低く設定するなどの、ネットワーク環境に応じた制御を行うことができる。

そこで本研究では、エンド端末間のパス上における複数かつ任意の区間における利用可能帯域を同時に計測する手法について検討した。従来の利用可能帯域の計測手法は送信端末が受信端末に向けて計測用パケットを送る際に、パケットの送信間隔を様々に変化させ、受信端末における受信間隔を観察することで利用可能帯域を計測する。そこで、提案手法においては、パケットの送信間隔の制御方法を改善し、かつ、エンド端末間パス上のルータにおいて記録されるパケットの送受信時刻を利用することによって、端末間のパス上における任意の区間の利用可能帯域を計測する。提案方式の性能評価は、簡易的なシミュレーションによって行った。その結果、送信端末に近いネットワーク区間より、受信端末に近いネットワーク区間の利用可能帯域が大きい場合においても、それぞれの区間の利用可能帯域を計測することが可能であることを確認した。

[関連発表論文]

4.3 トランスポートプロトコルの特性を利用したアプリケーションシステムの性能向上に関する研究

4.3.1 TCP送信を前提としたビデオストリーミング方式に関する研究

近年、ネットワークの広帯域化により、 YouTubeに代表されるTCPを用いた動画像ストリーミングサービスが普及している。しかしながら、TCPはその輻輳制御のため、動画像ストリーミングに適していないという指摘がある[5]。現在の標準的なTCPであるTCP NewReno の輻輳制御アルゴリズムは、輻輳ウィンドウサイズと呼ばれるパラメータを用いて、確認応答無しに一度に送信できるデータパケット数を調節することによって、パケット転送速度を調節している。この輻輳制御アルゴリズムは、パケット棄却を検知したとき、大きく輻輳ウィンドウサイズを減少させるため、転送レートが大きく変化する。動画の再生のためには、一定レートのデータ転送が望ましく、転送レートを大きく変化させるTCPは適していない。また、TCPの輻輳制御は貪欲な制御であり、パケット棄却を検知するまで、輻輳ウィンドウを増加させる。そのため、動画の再生レートに関係なくその転送レートを増加させ、他のトラヒックから帯域を不要に奪う問題がある。

そこで本研究では、まず、既存のTCPを用いた動画像ストリーミングサービスのデータ転送方式を調査し、既存の動画像ストリーミングサービスが、動画の再生レートより非常に大きなレートでデータ転送していることを示した。さらに、アプリケーション層においてデータ転送を制御することで、トランスポート層プロトコルにTCPを用いるにもかかわらず、必要以上のネットワーク帯域を奪わない、動画像ストリーミングのデータ転送方式を提案した。提案方式は、送信側ホストのTCPからTCPの状態変数を取得し、ネットワークの輻輳状況を推測する。また、受信側ホストから動画のバッファリング量を取得し、ネットワークの輻輳状況と受信側ホストの動画のバッファリング量に基づいて、1ラウンドトリップ時間に送信側ホストのTCPに渡すデータ量を調節することで、転送レートを制御する。シミュレーションによる評価の結果、提案方式は既存の方式と異なり、受信側ホストにおけるバッファアンダーフローの発生を抑え、かつ、バックグラウンドトラヒックの帯域を奪わないことを示した。

[関連発表論文]

4.3.2 トランスポートプロトコルの改良によるシンクライアントシステムの性能向上に関する研究

シンクライアントシステムとは、クライアントからキーボード・マウスイベントを送信し、サーバから処理結果の画面情報を受信するシステムを指し、そのトラヒックは、文字情報に相当するインタラクティブな特性のトラヒックと、ウィンドウなどの画面情報に相当するバルク転送的な特性のトラヒックに大別できる。本研究においては、前者に対してパケットロスへの耐性向上を課題として、データパケットの複製同時送信を提案し、後者に対しては、スループットの向上を課題として、TCPのスロースタート再スタート(SSR)の影響を評価するとともに、データセグメントの再構成手法に関する検討を行った。

提案方式の有効性を評価するために、実システムから抽出したトラヒックを用いてシミュレーションを行い、インタラクティブデータフローの遅延の要因は、ボトルネックリンクに接続するルータでのキューイング遅延と、サーバのTCP送信バッファにおける遅延であることを示した。次に、インタラクティブデータフローの優先制御を行うとともに、TCP SACKオプションを利用した場合は、平均遅延時間は改善されるが、数秒の遅延が発生することを示した。さらに、その改善のため、TCPの再送タイムアウト値計算の修正と、TCP SACKオプションの一時的停止を提案し、数秒の遅延が解消されることを示した。

[関連発表論文]