3. 次世代高速トランスポートプロトコルに関する研究

エンドホスト間でデータを高速に,かつ効率よく転送するための中心技術がトランスポートプロトコルである.特にインターネットで用いられているTCPでは,エンドホストがネットワークの輻輳状態を自律的に検知して転送率を決定している.これは,インターネットの基本思想であるEnd-to-end principleの核になっているものであるが,エンドホストの高速化により,その適応性をより高度なものにできる可能性が十分にある.また,ネットワーク内ルータでは,エンドホストの適応性を前提とした制御を考えていく必要があるが,それが実現されれば,自律性,適応性に富んだ高機能ネットワークの可能性も見えてくる.本研究テーマでは,そのような高速トランスポートプロトコルに関する研究に取り組んでいる.また,CDN (Contents Distribution Network)やデータグリッドなど,IPネットワーク上において特定のサービスを提供するためのオーバーレイネットワークにおけるトランスポートアーキテクチャに関する研究にも取り組んでいる.

3.1 TCPの特性に基づくネットワークの性能評価手法に関する研究

3.1.1 インターネットルータのバッファサイズに関する研究

現在,インターネットルータのバッファサイズの決定には帯域遅延積を指標とする方法(以下normal指標と称する)が広く利用されている.これに対し,TCPを用いた通信が多数存在するという条件の下であれば,ネットワークリンクの利用率を維持するためには帯域遅延積をフロー数の平方根で除算しただけのサイズで十分であるという方法(以下sqrtN指標と称する)が提唱されている.また,TCPコネクションのデータパケット転送におけるバースト性を緩和する手法であるpaced TCP を用いることによって,さらに小さい数十パケットのバッファサイズで十分であるという主張も提起されている.しかし,これら主張はボトルネックリンクの利用率以外の視点からの十分な評価が行われていない.

そこで本研究では,ns-2を用いたシミュレーションにより,paced TCPがルータのバッファサイズの設定に与える影響を,さまざまな視点から考察した.その結果,paced TCPの導入により,ほとんどの場合でパケット廃棄率が小さくなるものの,パケット廃棄率がnon-paced TCPとほとんど差がない場合は,データ転送遅延時間に悪影響を及ぼし,リンク利用率も高く維持できないことが明らかとなった.また,paced TCPとnon-paced TCPが混在した環境においては,normal指標ではpaced TCPフローが増加するにつれ,paced TCPのスループットが大きくなるが,sqrtN指標の場合はpaced TCPのフロー数に関係なくnon-paced TCPのスループットのほうが高く,paced TCPを普及させるにはsqrtN指標では不適当であり,バッファサイズを大きくする必要があることが明らかとなった.

[関連発表論文]

3.2 トランスポートプロトコルの特性を利用したアプリケーションシステムの性能向上に関する研究

3.2.1 トランスポートプロトコルの改良によるシンクライアントシステムの性能向上に関する研究

シンクライアントシステムとは,クライアントからキーボード・マウスイベントを送信し,サーバから処理結果の画面情報を受信するシステムを指し,そのトラヒックは,文字情報に相当するインタラクティブな特性のトラヒックと,ウィンドウなどの画面情報に相当するバルク転送的な特性のトラヒックに大別できる.本研究においては,前者に対してパケットロスへの耐性向上を課題として,データパケットの複製同時送信を提案し,後者に対しては,スループットの向上を課題として,TCPのスロースタート再スタート(SSR)の影響を評価するとともに,データセグメントの再構成手法に関する検討を行った.

実トラヒックを利用したシミュレーションにより評価を行った結果,インタラクティブなトラヒックにおいて,ランダムなパケットロスに対しては効果を得られることがわかった.また,バルク転送的なトラヒックのバースト性が,SSR設定オフにより増大し,セグメント再構成により緩和されることを明らかにした.

[関連発表論文]

3.2.2 無線LAN環境における遅延に基づく輻輳制御を用いたTCPの性能評価

近年,インターネットが様々なネットワーク技術により大規模化・高速化するとともに,無線LAN によるインターネットアクセスが一般化している.無線LAN規格には,無線伝送速度が最大11 [Mbps]であるIEEE 802.11bや無線伝送速度が最大54 [Mbps]であるIEEE 802.11aなどが標準化され一般に利用されている.さらに,無線伝送速度が最大300 [Mbps]を越えるIEEE 802.11nも標準化が進み,無線ネットワーク環境は今後も高速化される傾向にある.

一方,高速・高遅延ネットワークを対象に従来のTCP Renoに替わるTCP改良手法が数多く提案されている.それらの提案手法の中には,TCPコネクションのラウンドトリップ時間(RTT)をネットワークの輻輳の指標として用いる手法(delay-based手法)がある.Delay-based手法はパケット廃棄の発生を指標として用いる手法に比べ,早期に輻輳を検出することにより高いスループットを得ることができる.しかし,そのような手法は,無線ネットワークのようなRTTがネットワークの輻輳とは関係なく変動する環境では正しく動作しないことが予想される.しかし,無線端末においてネットワーク環境に応じてトランスポート層プロトコルを切り替えるのは現実的ではなく,無線ネットワーク環境が今後も高速化される傾向にあるため,delay-based手法がそのまま利用される可能性が十分ある.また,無線LANは上りと下りでネットワーク帯域を共有するため,特に無線端末がTCP送信側になる場合には,アクセスポイントが輻輳を起こすことが考えられる.しかし,この問題がTCPの性能に与える影響はこれまでほとんど検証されていない.

そこで本研究では,無線LAN環境において,RTTをネットワークの輻輳の指標として用いるdelay-based手法の性能評価をシミュレーションによって行う.その結果,無線端末が送信側である場合において,無線端末のバッファにデータパケットが蓄積することやTCP改良手法が実装レベルでRTT情報をフィルタリング処理することによって,RTTの変動の影響を抑えることができることを示した.また,無線アクセスポイントにACKパケットが蓄積することが原因となりTCPコネクション間に深刻な不公平性が発生することを明らかにした.

さらに,不公平性を改善するための手法として,ACKパケットの損失に対して輻輳制御を行う手法を提案し,提案手法が上りフロー間の不公平に対して有効であるだけではなく,上下フロー間の不公平に関しても一定の改善を行うことができることがわかった.

[関連発表論文]

3.3 インラインネットワーク計測技術とその応用に関する研究

近年のネットワークサービスの多様化に伴い,サービスオリエンテッドなネットワーク(サービスオーバレイネットワーク)が拡がりつつある.これらのネットワークにおいてサービス品質を向上させるためには,下位層ネットワークであるIPネットワークを与条件として,サービス提供のためのコネクション設定要求が発生した時に,利用可能な下位層ネットワーク資源量を適切に把握することが重要である.我々の研究グループでは,IPネットワークのエンドホスト間で利用可能な帯域幅および物理帯域を同時にかつ少ないオーバーヘッドで計測する,インラインネットワーク計測手法を提案している.

3.3.1 インラインネットワーク計測技術に関する研究

提案方式は,アクティブなTCPコネクションのデータ送受信時に得られる情報に基づいて計測を行なう,インラインネットワーク計測と呼ばれる方式であり,新たな計測用のトラヒックをネットワークに導入する必要がなく,かつ計測結果を素早く導出することが可能となる.物理帯域の計測手法に関しては,同時に計測を行う利用可能帯域値を利用することで,従来手法とはまったく異なるアルゴリズムを用いて物理帯域の推測を行っている.

本年度の研究においては,オーバレイネットワークがトラヒックの経路選択を行うために必要となる,経路の帯域情報を知るための,各オーバレイノードで分散的に動作する帯域情報収集システムImSystemを提案した.ImSystemは上述のインラインネットワーク計測を利用することにより,帯域計測用のトラヒックを減少させることができる.そのため,帯域情報収集のためにネットワークへ与える負荷が小さいという特長を持つ.さらに,ImSystemをベースに,計測用のトラヒックが互いに重ならないように計測タイミングを調整するImSystemPlusを提案した.シミュレーション評価結果により,提案システムが常に最新の帯域情報を高い精度で把握することが可能であり,かつ,ネットワークへ与える影響が少ないことを示した.また,オーバレイネットワーク上のトラヒック量が少ない場合においても,提案システムがそれを有効に利用し,計測用トラヒックを大幅に減らすことができることが明らかとなった.

[関連発表論文]

3.3.2 インラインネットワーク計測技術を利用した新たなTCPサービスに関する研究

前項のインラインネットワーク計測技術を用いることにより,TCPコネクションが転送中のデータ・ACKパケットを利用して,ネットワークパスの帯域に関する情報を獲得することができる.この情報を用いることで,従来実現できなかった,あるいは,従来アプリケーション層で実現する必要のあったさまざまなネットワークサービスを,トランスポート層,つまりTCPの制御によって実現することができると考えられる.本年度における研究では,一定のスループットを確保したデータ転送を実現するTCPの輻輳制御手法に関する検討を行った.

インターネットの発展によりサービスが多様化し,リアルタイム配信型アプリケーションなど,通信品質の確保を必要とするアプリケーションが注目されている.これまで,IP層やアプリケーション層において高い通信品質を提供する手法が提案されているが,ネットワーク規模に対するスケーラビリティや導入コストなどの問題から実現が困難とされている.そこで本研究では,トランスポート層において高い通信品質を実現する一方式として,TCPコネクションを用いてある一定のスループットを上位アプリケーションに提供する,TCPの輻輳制御方式を提案した.提案手法は,送信側TCPの輻輳ウィンドウサイズの増加方法を変更することで,データ送信レートを制御する.

提案手法の評価はシミュレーションおよび実装実験によって行い,その結果,背景トラヒック量が多く,利用可能帯域がほとんど存在しない環境においても,物理帯域の約10-20%のスループットを高い確率で獲得できることを示した.さらに,提案方式をLinux上へ実装し,研究室内の小規模実験ネットワーク,および大阪−東京間の公衆インターネット環境において実験を行った.その結果,提案方式がコンピュータシミュレーションとほぼ同程度の性能を発揮できることを確認した.

[関連発表論文]

3.3.3 インターネットにおける輻輳制御機構の環境変動への耐性向上

われわれは,インライン計測技術を用いて帯域に関する情報を取得し,その情報を用いてウィンドウサイズ制御を行うことによって,従来のTCP Renoにおける問題を本質的に改善するための新たなTCPの輻輳制御方式を提案している.

ウィンドウサイズ制御のアルゴリズムは,帯域に関する情報を用いることによってウィンドウサイズを適切な値にすばやく調節すること,および他のコネクションが競合する際に公平に帯域を分配できることを目的として設計する必要がある.そのために,数理生態学において生物の個体数の変化を表すモデルとして有名なロジスティック増殖モデル,およびロトカ・ヴォルテラ競争モデルを適用した.これらのモデルをTCPのウィンドウサイズ制御へ適用するために,生物の個体数をデータ転送速度に,個体数の収束値である環境容量を物理帯域に,および種間の競争を同一リンク上の複数コネクションの競合にそれぞれ変換する.

このような計測結果に基く輻輳制御方式の性能が,利用可能帯域などの計測精度やネットワーク環境の変動に大きく影響を受けることに着目した.そこで,その改善方法として,計測した利用可能帯域の変動の大きさに応じて動的にパラメータを設定する方法,および意図的にノイズを加えてウィンドウサイズを振動させることにより,環境変動に対応する方法を提案した.これらにより,提案手法の基本的な性質を変えることなく,利用可能帯域の計測に含まれうる誤差や環境変動の影響を緩和できることを明らかにした.

[関連発表論文]