1. 脳や生体の環境適応性・進化適応性に着想を得たネットワーク化プラットフォームに関する研究

1.1. 生物の環境適応性に基づく自己組織化制御技術の確立に関する研究

1.1.1. ニホンアマガエルの合唱行動のモデル化と通信ネットワークへの応用(筑波大学との共同研究)

 様々な生物の振る舞いを解析することで得られた数理モデルを情報通信分野に用いることで、環境適応力を有する通信制御手法へとつながることが期待されている。生物の振る舞いを知るためには生物の生態調査が必須であるが、中にはその発見が非常に困難な種もいる。本研究はニホンアマガエルの合唱行動に着目しており、①発生個体の位置推定、②発生情報を元にした合唱モデルの構築、③無線ネットワーク通信への応用、の3つの取り組みを行っている。カエルの合唱モデルに関して、従来短い周期では逆相同期を行うことが知られていたが、より長い周期に着目すると、群れ全体が合唱する状態と、鳴かずにいる状態が交互に現れる。さらにカエルには、メスに対する魅力の高い個体のそばで鳴かずに留まり、メスの横取りを狙うサテライトと呼ばれる行動が見られる。このような行動の数理モデル化を行い、カエルの行動の再現性を確認した。また、このモデルをLoRaネットワークにおけるカバレッジ制御へ応用することで、自律分散的にカバレッジ要求を満たしつつ、ネットワーク寿命の延長を実現できることを示した。

[関連発表論文]

1.2. 生物の進化適応性に基づく情報ネットワークアーキテクチャに関する研究

1.2.1. 生物の進化過程における多様性に着目した仮想ネットワーク制御手法

 インターネットや移動体通信システムは、経済活動、社会活動、日常生活の基盤として不可欠なものとなっている。多種多様なサービスがこれらネットワークの上で稼働しており、ネットワークにおいては様々な環境変動が異なる時間粒度で発生する。我々は、環境適応性を有するネットワーク制御を実現するために、生物が進化の過程において環境に適応していく能力をネットワークに与える取り組みを行った。生物の進化の仕組みに倣った進化的アルゴリズムとして、熱力学的遺伝アルゴリズム(TDGA)、Gene regulatory network(GRN)を用いた遺伝的アルゴリズム、およびMapElites(ME)アルゴリズムに着目して研究に取り組んでいる。これらのアルゴリズムは、進化における個体群の多様性を維持、増加するように設計されており、これらのアルゴリズムを、ネットワークにおける組み合わせ最適化問題に適用することで、環境の変動に対して適応能力を備えることが可能であることを検証した。具体的には、TDGAを用いたLoRaWANにおける拡散率割当手法の提案、GRNを持つ遺伝的アルゴリズムを用いた分散型の映像分析タスク分配手法、MapElitesを用いた仮想ネットワーク埋め込み手法の提案を行い、計算機シミュレーションを通じて、これらの手法が、変動する環境下で通常の遺伝的アルゴリズムよりも高い適合度を達成できることを示した。

[関連発表論文]

1.2.2. 進化における生物多様性に着想を得た仮想ネットワーク埋め込み制御手法

 インターネットを利用したアプリケーションの多様化に伴い、ネットワーク資源を柔軟に割り当てるネットワーク仮想化技術が注目されている。ネットワーク仮想化において、仮想ネットワークの要求を物理ネットワークに適切にマッピングする仮想ネットワーク埋め込みが重要となる。一方で、最適化による解の計算には時間がかかるため、仮想及び物理ネットワークの環境変化時に埋め込みの再計算が問題となる。そこで、事前に複数の解候補を持っておき、状況に応じて解を切り替える方法が考えられるが、解候補自体の設計や更新が課題として残る。このような解候補と解選択の関係は生物進化における遺伝型と表現型の関係に類似しており、進化にヒントを得るのが近道である。本研究では、遺伝型と表現型の進化に基づいて解の候補自体も動的に更新可能な動的仮想ネットワーク埋め込み手法を提案する。本手法では、解の候補を遺伝型としてエンコードし、ノイズによる揺らぎを用いたアトラクター選択により表現型をデコードする。評価を通して、個体がアトラクター選択を行うことで、従来手法を用いる場合よりも、早く適切な解の発見に至ることを示した。

[関連発表論文]

1.2.3. 進化適応性を有するネットワーク仮想化システムの設計技術に関する研究

 進化適応性を有する情報ネットワークの構築に向け、生物システムなどの自己組織的に動作するシステムにおいて外的要因の急激な変化に対して安定的に機能提供可能であることを説明するBow-Tie構造、Core-Periphery構造に着目した研究を進めている。Bow-Tie構造、Core-Periphery構造では、システム全体を、安定的かつ効率的に動作するCoreと外的要因の変化に応じて動作形態を変えるPeripheryの二つの要素で捉える。

 本研究では、Core/Periphery構造の適用例として、ネットワーク型の複合現実サービスを設計、実装した。様々な種類のデバイスや、ユーザやデバイスが配置されている実環境に合わせて、ユーザの要求に対応するためにはどのような機能を開発すべきかを検討した。コア/ペリフェリー構造の柔軟性を活かすために、ユーザの要求や環境が変化しても振る舞いが変わらない機能をコア機能とし、ユーザの要求や環境が変化した場合に挙動が変わるものをペリフェリー機能とした。実験の結果、サービス応答時間の増加を31ms程度に抑制しながら、実装コストを削減できることが明らかとなった。この結果から、コア/ペリフェリー構造を利用することで、MEC環境でのサービス機能の適切な分割や機能配置を、サービスの応答性のペナルティを少なく抑えつつ、低コストで実現できることがわかった。さらに、遠隔ロボット間の情報共有に要するオーバーヘッドが削減されることも明らかになった。

 また、サービス機能ネットワークの設計時に環境変動を想定するだけでなく、将来にわたる新たな環境変化に対応するためにネットワークの構造を進化させ続けることが求められている。そこで、コア/ペリフェリー構造に基づくサービス機能ネットワークにおいて、進化適応性を有するサービス機能ネットワーク構築手法を考案した。環境変動に対応するためには、サービス機能間のインタフェースを追加したり、新しいサービス機能を開発したりすることが必要である。本手法では、コア機能とペリフェリー機能を適切な規模に保つことで、サービス機能ネットワークの構造を低コストで進化させる。シミュレーションの結果、サービス機能ネットワークの構造を低コストで進化させ続けることができ、高いサービス収容率を維持できることが明らかになった。

コアペリフェリー構造に基づくNFVシステムの設計
進化適応性を有するサービス機能ネットワーク構築手法
[関連発表論文]

1.3. 脳の情報処理機能のネットワーク化プラットフォーム制御技術への応用に関する研究

1.3.1. 脳の情報処理機構の拡張による端末-エッジ-クラウド連携制御(一部、NECブレイン・インスパイヤード・コンピューティング協働研究所における成果)

 近年、エッジコンピューティングに対応したアプリケーションが注目されている。AI蒸留を始めとしてモデルサイズの軽減技術により、従来のクラウドで提供されるAIよりも低い遅延で、計算能力の限られたエッジや端末上にコンパクトなAIモデルを配置することができる。しかし、一般的にモデルが小さいAIは精度が低いため、処理割り当てを決める際には、精度と遅延のトレードオフ、さらに消費電力を考慮する必要がある。このようなタスク割り当て問題では、計算の困難さからヒューリスティックな解法が必要であるが、環境が準静的な場合、最適解から乖離が問題となる。我々の研究グループでは、準静的環境では最適解を連続的に探索し、動的な環境変化に対しては過去の準静的環境との類似性に基づいて準最適解を即座に決定するというアプローチをとっている。特に、類似性に基づく準最適解の選択には、脳の意思決定をモデル化したベイズアトラクターモデル(BAM)を拡張して用いることが有用となる。本研究では、人間の意思決定において、関連する概念や操作がチャンクにまとめられ、階層的に整理されることに着想を得て、BAMを階層的モデルに拡張する。これにより、選択肢の数が増えても、高い正答率を維持できることを示した。また、類似の結果をもたらす選択肢が多い場合に高速に選択を行うmagnitude-sensitivityを示すモデルへの拡張も行なっており、複数端末の素早い協調的タイムスロット割り当てが可能となることを示した。

[関連発表論文]

1.3.2. 自由エネルギー原理の情報システム制御への応用に関する研究

 近年、クラウド上の量子コンピュータをはじめ、量子計算の実用化が近づいている。しかし、量子コンピュータのハードウェア技術の進歩は目覚しいが、ソフトウェア技術の進歩はむしろ限定的である。本研究では、量子計算と確率計算の類似性に着目し、量子計算による自由エネルギー原理(FEP)の解法を提案する。FEPは従来、確率計算の処理を軽減するために変分近似が用いられてきたが、変分法は無視できないバイアスが生じることが知られている。そこで、量子計算に基づくネイティブな確率計算を用いてFEPを行うことが望ましいと考えられる。本研究では、多腕バンディット問題におけるFEPを例として、量子計算により自由エネルギー原理に基づいた能動的推論を解く方法を提案した。数値シミュレーションにより、提案手法は計算時間を抑えながら、従来の能動的推論の近似手法に比べて適切な選択が可能であることを示した。

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1.4. 脳の情報処理機構に基づいたQoE制御の向上に関する研究

1.4.1. 動画像視聴中のユーザのQoEを向上するビットレート選択手法の実装と評価(一部、NHK放送技術研究所との共同研究)

 近年、動画ストリーミングサービスや遠隔Web会議システムの普及が急速に進んでいる。動画像を提供するサービスにおいては、ユーザQoEの向上が重要視されており、QoE向上を目的としたビットレート選択手法の研究が盛んに行われている。ビットレートの選択において、ユーザのQoEを利用するためには、そのユーザ個人に適したQoEの測定が実時間で行えることが必要である。しかしながら、従来用いられているQoEの測定方法の多くは、通信品質のみに基づいてユーザのQoEを推定するもの、あるいはユーザにアンケートを取り、ユーザ自身が知覚したQoEを自己申告したデータを後に利用するというものであり、ユーザの個人差を考慮しておらず、また実時間での測定という要件を満たしていない。我々は人の生体情報(脳波や視線、瞬目)を用いることで、QoEを推定する手法の実装を行った。さらに、MPEG-DASHクライアント上で、推定したQoEを用いてビットレート選択を行う機能の実装を行い、生体情報から推定したQoEに基づきリアルタイムにビットレート選択を行うMPEG-DASHクライアントを実現した。

 また、QoE はサービスに対してユーザの感じる主観的指標であるため、人の主観的な意思決定においてみられる認知バイアスの影響を受けると考えられる。認知バイアスの一つであるchoice-supportiveバイアスに着目した被験者実験を行い、この認知バイアスが動画視聴中のユーザに与える影響を明らかにした。特に、ビットレートの選択にユーザの意志が介在することがQoEの向上に寄与することを明らかにした。

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1.4.2. 動画視聴中の心理的影響の量子意思決定モデル表現とQoE制御手法に関する研究

 ネットワーク仮想化などユーザの需要に合わせて柔軟な制御が可能となり始めた今日では、ユーザが体感するサービス品質(QoE:Quality of Experience)を考慮した制御が望まれている。このようなユーザ QoEのモデル化に関する研究は、従来進められてきたものの、ユーザの心理的効果によってQoEに影響を及ぼすため、従来のモデルではモデル化が困難な状況が生じる。一方で、人の認知状態及び意思決定を表現するモデルとして、近年、量子意思決定が注目され始めており、これは、従来の認知モデルでは表現が困難な、人の心理的効果も含めたモデルとなっている。本研究では、量子意思決定モデルにより動画視聴中のユーザのQoEのモデルを提案した。提案モデルでは、初頭効果および順序効果を状態の時間発展に統合し、データセットにおけるQoEの時間変動を再現可能であることを示した。また、心理効果を考慮したビットレート制御手法を設計し、被験者の代理としてQoEモデルを用いた動作検証により、提案手法を用いることで心理効果によるQoE低下を回避可能であることを示した。

[関連発表論文]

1.5. ニューロダイバーシティを理解し尊重するデジタル・ウェルビーイング空間の実現

1.5.1. リアルタイムなストレス状態検知手法に関する研究(ダイキン工業株式会社との共同研究)

 近年、労働環境や精神的負担に基づく心理的疲労が問題視されている。短期的な精神的負担であっても、それが積み重なれば長期的・持続的なストレスとなる可能性がある。そうならないためには、休息が大切である。心身を休めることで、精神的な負担を軽減することが可能となる。精神的なストレスをリアルタイムに検知することで、休養を促すことができる。精神的なストレスの検知には生体情報が有効である。ストレスがかかった状態では交感神経が優位になり、生体反応が起こる。このような生体反応は、ウェアラブルセンサーで得られる生体情報から推定することができる。ウェアラブルセンサーは、体温、皮膚電気活動、心拍数など、精神的負荷の状態と大きな相関を持つ様々な生体情報を観測することが可能である。つまり、このような生体情報を用いて精神的ストレスを検出することができる。特に、複数の情報を組み合わせる方法は、精神的ストレスを高精度に検出することが期待される方法の一つである。しかし、ウェアラブルデバイスで計測される生体情報には、ノイズが含まれる。また、このような生体情報には個人差が存在する。そのため、リアルタイムなストレス検知では、このようなノイズや個人差を扱う必要がある。

 そのため、本研究では、観測情報に含まれるノイズや個人差に考慮したリアルタイムなストレス検知手法の検討を進めている。本手法は、ゆらぎ学習とマルチモーダル統合処理に基づいている。ゆらぎ学習とは、ベイジアンアトラクターモデル(BAM)と呼ばれる人間の脳の認知過程のモデルに基づいて、ノイズを含む情報からリアルタイムに判断する手法である。ゆらぎ学習は、新しい観測結果が得られるたびに認知状態を連続的に更新することで、あらかじめ定義された選択肢のうちどれが現在の状態に該当するかを判断する。本手法では、ゆらぎ学習に基づいて、複数の判別器を構成する。各判別器は対応する情報に基づいて判断を行う。そして、すべての判別器の判断を統合することで、本手法は最終的な判断をリアルタイムに行う。この方法では、ストレスが生体情報に与える影響は人によって異なるため、最終的な判断に用いる情報を慎重に選択する必要がある。そのため、本手法では、ストレスの状態を判別できない情報を排除し、各個人に合った情報を選択する。また、出力された確信度が低いゆらぎ学習の判定を除外することで、不正確な情報からストレスが検知されることを回避する。本研究では、本手法がストレス状態を精度良く検知できることを実験による実証を進めており、提案手法により、個人に合わせて、正確にストレス状態を検知できることを明らかにしている。

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1.5.2. ウェルビーイング空間制御手法に関する研究(ダイキン工業株式会社との共同研究)

 近年の我々を取り巻く労働環境は見直されつつあり、個人のワークライフバランスに寄り添った働き方が推奨されている。しかしながら、限界生産性向上による労働時間の短縮は、単位時間当たりで見れば労働者のストレスを高める可能性があり、個人がストレスなく伸び伸びと過ごしている状態(ウェルビーイング)をかえって損ねてしまう可能性がある。

 一般に、精神的に負荷のかかる状態においては、ある種の生体反応が現れることが知られており、ウェアラブルセンサーを用いることにより得られる生体情報から精神的な負荷状態を推定することが可能である。我々の研究グループでは、ゆらぎ学習に対してマルチモーダル統合処理を組み合わせた新たな手法を提案しており、これにより、個人差を捉えたストレスの推定が可能であることが確認できている。この手法をもとに、本研究ではウェアラブルセンサーによって個人から取得した生体情報に基づき、その人の心理的状態を推定し、その推定結果に応じて空調機器を制御して精神的負荷を和らげるための空間(ウェルビーイング空間)を実現する。部屋の温湿度に対するストレス/非ストレス状態を推定し、推定結果に基づき空調機器の制御を行う実験を行った。状態の認識精度は82.5%であり、想定した空調制御の動作を確認できた。

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